油流し
ここは敵が本丸まで攻めてきた時に石や水を流し、最後の抵抗をすることを想定して造られました。だから急な坂。
一応上ってみましたが、油を流したみたいに滑って登れません。ここまで攻めてきたらもう落城も同然なのですが、それでもこういうところにも防御の姿勢が貫かれています。
諏訪 堂阯
ここは信心深い謙信が建てた神社の一つと思われます。
護摩 堂阯
看板に書いてあるとおり、戦勝祈願の護摩焚きを行ったところのようです。
毘沙門堂
そして有名な「毘沙門堂阯」。
ここは謙信が戦への出陣前に戦いの神「毘沙門天」へ祈りを捧げたところです。今は謙信の当時の場所とはすこし離れたところに再建されています。
説明書きにもありますが、中には毘沙門天像が安置されています。
謙信が崇めていた像は上杉家の米沢位封の際、一緒に米沢へ行きましたが、その像も火災にあい、被害を受けました。
昭和3年に高名な「高村光雲」が修理し、その時に焼けた像の欠片を入れ、制作されました像がここに安置されています。
再建された毘沙門堂を覗いてみると毘沙門像があり、見ると小さい像なのですが、雰囲気があり、怖いくらいでしたのでびびって写真は撮れませんでした(汗)。
陸軍大将・鈴木壮六揮毫
再建された毘沙門堂の上には新潟県三条市出身の陸軍大将・鈴木荘六の揮毫による、「毘沙門天」の文字が。
この鈴木荘六という人、毘沙門堂だけではなく、越後の国の神社・仏閣・小学校などで色々な揮毫を書いているそうです。
不識院 趾
謙信の死後、遺骸は甲冑を着せてこの不識院に埋葬されたそうです。もちろんその後、米沢へ転封の時に米沢へ移動した、とのことです。
御花畑趾
お花畑阯。
場内の飾りに使ったり、毘沙門堂へ供えるためにここで色々な花を育てていたようです。
景色 のいい春日山城跡。
==ここで少し休憩===
ここからの眺めが素晴らしい。
越後の深い山が見渡せます。
松林を渡ってくる風がほんとに心地よいのです。
山城を登ってきた疲れが風に流されて飛んでいきます。
本丸周辺はここで終わり
ます。
下りまして、次回「直江屋敷」へ入ります。
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最初の記事はこちらです↓
上杉謙信の城、春日山城跡に登ってみた!その1
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